お仕事中にこっそりどうぞ

仕事中にこっそりと読むブログです。一息つくのにちょうどいい、でもちょっと帰り道に思い出してしまうようなものを書きたいと思っています。楽しんでいただければ幸いです。

“後悔”にすら興味のない人

 先日、古い友人と赤坂の居酒屋で飲んだ。
友人と言っても、生まれ故郷も違い、育った土地も違う。
以前の職場で、過酷な労働環境をともにし、一緒に日々を戦った戦友とも、同志とも言える人だ。

 

そんな想い出を共有する人だからこそ、なんでも相談できるし、どんな話題でも持ち出せる。
職場の愚痴や他人の悪口などのくだらない話ではなく、人生観や将来の展望、エロスや宗教観などがいつも議題としてあがる。

 

その日も、やはり話題は多岐にわたった。
そして、僕が人に対してつい劣等感を持ってしまうこと、人生に誇りを持てないことなど、彼からお説教をいただく件になった。

「君はね、いろいろと決めつけが多いんだよ。あれをやったら道徳に反する、これをしたら人に迷惑がかかる。そりゃ迷惑をかけないにこしたことはないけど、人はそんなに優れた生き物じゃないよ」
普段からちゃらんぽらんに生きている人間なら速攻で反論するが、彼に言われると納得させられてしまう。

 

彼はいまの職場でも戦っている。
親族が経営するゴルフ場の経営に携わり、内部の腐った連中、いわゆる「私腹のみ肥やしたい系」の人たちとバトルの真っ最中だ。
たちが悪いことに、敵対勢力が親族であり、彼はほとんど一人で孤軍奮闘している状態。しかも彼はストレスが体にもろに出てしまう体質なのだ。これまでに精神疾患だけでなく、ヘルニアや肺に穴まで開けてしまっている。

 

そんな彼の唯一の救いが、一緒に暮らしている恋人の存在だ。
僕も彼女には会ったことがあるが、これがまた変わっている。
まず人と交流を持つことが大嫌い。友達もあまり作らず、子どももつくりたくはない。ただただ酒だけを愛しているという、30過ぎの女性としてはかなりの変わり者である。

 

そんな彼女の変わり者っぷりを象徴するエピソードがある。

 

以前、友人が3.11の震災の時に、割と福島から近い場所に住んでいたこともあり、いざ原発が爆発した場合を想定して、逃げる準備をしようとした。
「とりあえず避難できる準備だけはしておこうよ」
彼としては自分ではなく、彼女を思っての行動だった。しかし、彼女は言った。
「なんで?」
その返答に、友人はあっけにとられた。声のニュアンスや、普段の彼女の性格からして、本当に関心がないことが瞬時にわかったそうだ。

 

「なんでって、避難しなきゃいけない時にあわてちゃうじゃん」
「あわてないよ。何にあわてるの? そもそもわたし、いまだってあわててないし」
「いや、手遅れになったら最悪じゃん」
「最悪じゃないよ。いざという時は、いざという時だって」
「そんなこと言っても、俺は心配なんだよ。後悔したくないし」
「死ぬことが怖いってこと?」
「お前が死ぬことが怖いんだよ。わかんない? 俺が後悔したくないんだよ!」
つい声を荒げてしまった彼に対して、彼女の返答は衝撃的だったという。
「後悔しながら死んで、何がわるいの?」

 

このエピソードを聞いた時、僕も衝撃を受けたのをおぼえている。
なんだか、自分がこれまで信じて来た道徳的なことや常識的なことが一瞬で覆された気がした。
そうか。ついつい後悔のない人生こそ正義だと考えていた自分の価値観が、かならずしもすべての人に当てはまるわけではないのか。
友人によれば、彼女は酒以外の何ものにも興味を持たない反面、たんたんと職場に通い、テレビのバラエティ番組を観てよく笑い、ぐっすりと眠るという、楽しそうな毎日を過ごしているという。
おそらく先のことを見据えて何かをおそれ、何かを心配し、未来に一喜一憂することはしない主義なのだろう。
いまこの瞬間が楽しいかどうか。興味があるのはそれだけなのだろう。

 

「後悔しながら死んで、何がわるい」
この言葉には、誰もかれもが救われるような力が宿っている気がしてならない。
赤坂の夜、彼女が発した一言を友人と僕は頭のどこか片隅にぼんやりと思い浮かべながら、また終わらない談議を肴に、うまい酒を飲むことができた。